作家の芸術感のわかる記述 その2

【鳥人間の誕生ーめんめ、めんめ】

 kao.jpgわが家のイチイの生垣が、何年も手入れもされず伸び放題なのが気になっていた。我々が散髪した後の心地よさを思いながら、生垣の刈り込みをやった。切り落とされた太い枝を片付けようと手にとった瞬間、"お前だって自由に思う存分伸びかかったろうに…"と、物悲しい気持ちにおそわれた。そう思ってみると、その太枝がワナワナと身を震わして、何かを訴えているように感じる。版木に黒墨で、この思いを直描きにし、彫りかかった時に、孫娘が二階のアトリエに入って来た。二才ちょっとの、この孫娘は、目を輝かせて、「おじいちゃん、うんまく、ちゅくったね。めんめ、めんめ…。」と言いながら、やや変形して描いた作品"鎮魂歌"の切り木口の年輪を指さした。彼女が暫く賑やかに遊んで階下に去って行った後、一人静かにこの彫り始めたばかりの作品を、じっと見つめていた。彼女の言った「めんめ、めんめ」は、私に重大なことを教えていることに気づいた。"年輪の目で表せば、樹の痛みを、もっと、もっと力強く、に表情豊かに訴えることができるんだ"とー。

【鳥人間の活動】

これはたまらん 折角、樹の痛みを表したいとの願いを込めて絵創りをしていたのに、年輪部分には不注意にも気持ちが行き届いていなかったのだ。

  子どもの、とらわれない純粋な感性のすごさに、改めて感心させられた。

  この作品がきっかけとなって、表情豊かな目の鳥人間の出番がまわって来ることになり、以後のテーマの語り手として活躍してくれることになった。

  孫娘の一言から生まれた独特の瞳を持つ鳥人間は、身体全体で、特に豊かな表情の目で、私の心に溜まった種々の社会問題や環境問題への思いを、小気味よい調子で訴えてくれ、語ってくれている。おかげで、ストレスに押しつぶされることなく、張りのある毎日を過ごさせて貰っている。

  "これはたまらん"。地下水を、自然の摂理に背いて、工業用水として多量 に汲み出した報いに、地盤沈下や傾斜が起こり、そこに住む人々の毎日の生活が大変な不便と危険に晒されている。自然をないがしろにすることがどんなに恐ろしいことであるかを、鳥人間はユーモアたっぷりに抗議してくれているように思う。

  鳥人間に託した私の思いを果たして理解して貰えるだろかと不安を抱きながら、東京都美術館での第43回日本板画院展に出品した。

  美術誌『月刊美術』は、94年2月号(No.221・P.49)の記事"93年版画界-主な出来事"の中で、「…ほほえましいユーモアたっぷりの木版画。こういう世界は版画の中で、やはり忘れてはならない。」と書いてくれ、又、美術評論家の佃堅輔氏には、「…多くの人に認めて貰うことは大変だが、そんなことに負けずに続けてほしい(要旨)…」と励まされた。
  意外の反響に驚かされたが、大いなる自信と力を得、今も鳥人間には大活躍して貰い、世話になっている。

  この鳥人間シリーズはもう七年も続いているが、いっこうに飽きることがない。それどころか創るたびに鳥人間たちが見せてくれる活動のおもしろさは、私を大いに楽しませてくれる。愛嬌のある目をクリクリさせ、不格好な身体をゆすりながら、「ミサイル発射なんてサ、みんなを不幸にするだけじゃないか…」とか、「何でこんなにゴミが流れてくるのサ、うまいこと言ったってさ、川がこんなにきたなくちゃくだめだよ」と訴えている姿は、可愛くもあり、痛快この上なく、飽きることはない。

そりゃつぶれるさ 今年、第49回日本板画院展にも、"そりゃつぶれるさ"と"上にまいります"の二点を出品した。前者は、現在の私の多忙な日常を訴えたい気持ちと、企業を経営している>版画仲間の、「…帰宅は毎日午前2時頃…。版画を作る時間をどうしても見いだせない…」と苦しそうに言う表情が、発想のきっかけになっている。考えてみれば、この事は決して特異なことではなく、現在至る所で、こんな無理な生活を強いられている事実に気付き、愕然とする。

  又、後者は、財政界で、金儲けと出世のために、他人より、ちょっとでも優位 に立とう、上に上がろうとするお偉方のなんと多いことか。ある時、気がついてみたら、娑婆には既に彼らの戻る席はなく、路頭だか、空中だか知らぬ が迷って、あたら人生を棒に振ってしまう。やり切れぬのは大衆に大きな苦しみを与えていることである。全く腹立たしいことこの上無しである。こんな思いが、果たして表現されたのだろうか。
  毎年、展覧会を見てくれているモダンアート会員のI氏が、「今年の作品は一層肩の力が抜けて、自由になり、ユーモアの中に主張があっておもしろかった」と感想を書き送ってくれている。
 

上にまいります "上にまいります"について美術誌『美術の窓』(No.191・8月号・P.22)は、「…上に上がっていくといいことがあるかどうかはわからないが、人々はとりあえず上がろうとしている。しかし実際に上に上がっていってしまうと、それは死んでしまうのと一緒で星になるのかもしれない。ノンシャランな童話的な世界に見えて、実はその裏には苦い認識があって、それをこの黒一色のトーンでユーモラスに表現する力が興味深い。」と評してくれている。

  作品の根っこにあるもの(つまりテーマ)を何とか汲み取って貰えたのだろうか。